もう会えない

あなたは知らないでしょう。わたしがあなたのことをどれだけ気にかけているか。「待ってんだけど、」そう言っていなくなるのってずるくないですか、自分がいくつもの顔を持ってるって自己申告してきたときからわたしはあなたのことが好きです、と同時に、ふられた気分でもありました。あなたの周りにはひとが集まるし、仕事もできて、結婚もしていて、子供がいて。あなたとはじめて出会ったとき、あなたはまだ結婚していませんでした。その数日後、あなたのことを特に知らなかったときに、結婚するそうです、と業務連絡のように伝えられ、休みを跨いだ次の日にはもう左手の薬指に指輪がはまっていて、あーこんなに急なんだって思った、こんなに人は急に結婚するんだなって。もちろん何年も大切なひとがいて、付き合ったのだと思う。けどそんなこと訊く必要もなく、きっかけもなく、ずっとあなたは幸せでした。ずっと幸せなんだろうな。これからもずっと。あなたはいとも簡単にわたしを忘れてしまうし、わたしもこれはただのブームだと思ってるけど、好きです。わたしの煙草を吸いたがるから、カプセルだけ潰して空気吸ってみてって言った。おいしそうだから、だって。そんなにかわいいといなくなるのさみしいです。これ以上自分の中できもちが濃くなっていくのはつらいから、はやく、いなくなってください。忘れたいです。愛おしいです。忘れたいです。

愛は役に立たない

君が隣にいてくれさえすればなにもいらない。そんなことをあなたは言うけれど、あの日夜の公園で、もしおれが仕事を辞めたらどうする?なんて冗談みたくわたしに言ったこと、ぜんぜん忘れてなんかないんだ。ばらの花なんかちっとも役に立たない。愛なんて、何の役にも立たないものだ。
あの夜「付き合うって言ったら、どうする?」なんて言ってくれなきゃよかった。わたしとあなたの関係に名前をつけてくれないことだって、臆病さからだってわかっていた。やさしさだって信じようとしたわたしが馬鹿だった。どんどんあなたのきもちだけが募っていって、わたし苦しかったんだよ。重い割にそれを隠しもせずに会ったときだけ平気な顔なんてしてるから嫌になっちゃった。わたしなんて幸せに見合わない。そう思ってしまうの当然でしょう。あなたがもし、告白なんてしてくれなくて、この重さを孕んだままの関係を続けていられたなら、わたしは多分、いまみたいな不安さを、あなたに託していたのだと思う。傷を舐め合うみたいな真似を、ずっとしていられたのだと思う。あなたがわたしを好きにならなかったらよかったのに。ポエムみたいなどうしようもなさを宛てられる人間なんてそうそういないんだから。
きみはひどくやさしい。やさしさ故にわたしが尖っているときにその棘ごと包んでくれること、きみがその赤い自傷行為に酔っていること、そんなのは歪んでいること、まっとうではないこと。愛は役に立たないけどこころにやさしい。でもそれじゃだめなんだってさ。わたしたちはこれから何十年も死ぬまで生きなきゃいけないって。ごめんね。痛いのも生きてる証拠じゃないって知ってた。

春に始まる恋なんてろくなもんじゃない

恋愛が向いてないことをすっかり忘れていたために、うっかり告白を受理してしまったので、唸りながら頑張ってはみたものの、やっぱりダメだったなってはなし。

わたしがラブレターを出すのは夜、行動を起こすのは、思い出したことから仮説を立ててそれを証明したい、という実験に過ぎない。こいつは必ず振り向くはずだ、こいつにはわたしこそが相応しい。ここでのスタンスは自信満々!なわけではなく、控えめなポーカーフェイスで相手の性癖にひとつひとつベルトを通していくようなもの。そうしてまんまと振り向かれる。これをずっと繰り返している。このとき、告白されることなんて想定していないから、戸惑ってしまう。どうして付き合いたいだなんて言うんだろう。好意の確認で終わる告白ならされてもいいのに。男は所有したがる。

疲弊した状態で下す判断のほうがよっぽど保身的なものなのにさあ、それを手放すときに間違っているとか愚かだとかのたまう人間は、自分に降りかかった選択肢こそが間違いだって思いもしないんだろうな。例えば、わたしがきみを選んだことこそが、きみの言う「疲れてる状態で正しい判断なんてできるわけがない」ってやつなんだと思わないのか、逃げるための、楽になるための、怠惰のための結婚(使途:生活資金の保証)でございました。感情で生きると失敗する。だから夜に毒されて、まんまとラブレターを投函することになる。この一連の相手に異性を選択してしまうとそれだけで大きな間違いになる。そんなの阿呆らしすぎる。わたしのなかではわたしこそがずっと正しい。今回ばかりは論理的にも。考えて考えてひとり。きょうもひとりで楽しくて、そんな自覚することもないくらいに大丈夫だったので困る。やっと不安定な春が終わり、夏が来たことでたちまち冷静な判断ができたところです。

この夜は永遠じゃない

女の子になれ、と言われているようで、スカートもピンクもセックスも好きじゃない。好きになりたいのになれないから憎しみがある。完全に手放せたら楽なのになーと思う。

告白とか付き合うとかそういうのを思うとき、いくつもの助手席を思い出す。相手のいいところなんて見つけようと思えば永遠に出てくるし、妥協に妥協を重ねればプライドだって折ることができる。ほんとうは誰でもいいはずなのだ。いずれ誰でもよくなくなるから。だけど選んでしまう。それは性別は関係なくて、人間を選んでいる。というのも、矜持があるからだ。自分のことはほんとうに1ミリも愛していないけど、勿体無いと思ってしかいない。相応しいとか相応しくないとかそんな関係なんて無いことは分かりすぎるくらい分かっているはずなのに、気づけば「いつか王子様が」を口ずさんでいたりする。みんなテトリスの棒をさがしているんだよなーと思う。ぴったりがいるはずなんだって深く溜息を吐きながら半ば信じている。ぴったりをこちらは知っているけどそれは遠い人、みたいなことが多分とてもこの世には多くて、出会えない恋がたくさんある。年齢とか肩書きとか関係ないなんて結局、ってそう、結局って思ってしまう。すべては環境、運、そういうの分かってます、分かってるけどどうにもならないもので、悔しがるものでもないことも知っていて、それでもあったかもしれない人生のことを考えて、また肺を絞るような溜息が出る。あのキスがすべてじゃないでしょ。好きでもすべてじゃないでしょ。男の子はほんとにめんどくさい。飾んな。カッコつけんな。わたしのことを愛せる価値がおまえにあるのかよ。振り向いてくれない人間ばかり好きになる。やめてくれないか、恋とかロマンとかそういうの。わたしたちには生活がある。土曜日の夜は明ける。

自分のセックスを笑えない

やっぱりレズなのかもしれない、と思うことがままある。遠くのほうで起きている恋を観測するのはめちゃくちゃ楽しいし大好きなのだけれど、いざ自分のこととなると心がさあっとつめたくなるような感じがしてしまう。常に賢者タイムの恋。自分の介在する恋は吐き気がする。

レズなのかも、というと語弊がありそうだけど、そう言うのも、実際に女の子のいちゃつくときはまったく苦しくないから。それって結局契らないからっていう、リスクがないからつまりどうでもいいから心の負担がなくて大丈夫でいられるってことなんだろうか。みんなの恋ってどんな感情なんだろう。

自分のスタンスとしては精神的に言えばあたりまえのようにきちんと男性を大好きなんだけど、それはなんというか「なりたい」という種類の愛だし、男はやっぱりなんだか怖いので肉体的には女しか無理な気がしてきた。といっても完璧にレズってことではなく、内なる自分のポテンシャルが男の肉体なので目の前にいるのは女の子がいい。そういう感じ。エロいのだって(鑑賞は)大好きなのにほんとうに笑えない。

ぼくは恋愛ができない

恋愛について、好きだったはずの相手に振り向かれると途端に気持ちが冷めてしまう。この心のED患者的なる部類に属する人間がまあまあいることを知ったのは最近のことで、これらの人々の前に立ちはだかるものとして結婚とかいう情にそぐわないシステムがある。患者たちにだってこの社会の仕組みのなかでどうにか生きていくためには"結婚"という選択肢は提示され続けているわけで、たしかに生きてきて人を好きになったことは何度もあるだろうし、付き合ったり、別れたり、恋愛めいたことはしてきているはずだ。そこで(あーあ、向いてないな)と思ってしまった人々は、男女関係が最強みたいな社会のなかで、これからどうするつもりなんだろうといつも考える。

わたしは博愛主義者ではないが、全人類のことを好きだと思える。多分この言葉についての定義や感覚と、わたしのは少しズレていて、みんなにとっての「好き」というのはわたしにとっては大変居心地が悪いもので、これは「こわい」にも似ている。みんなにとっての「嫌い」がわたしの「好き」なのだと考えるし、さらにいえば、わたしの「好き」は「どうでもいい」にも似ている。関係にリスクがない、甘やかされることができる、堕落できる、恋であるということを確信しなくてもいい、そういうのがわたしは好きだ。居心地がいい、心臓が落ち着くことができる、ということ。しかし結婚という契約は男女でしか成立しないばかりか、結婚はたんなるルームシェアではなく、同じ部屋で暮らすその男女は"恋愛"を経て結ばれるらしいし、2人のあいだには好意以上の恋情や、確実な信頼がなくてはいけない。そんな重たくカタい感じの関係、正直、めんどくさい。だから恋愛はもういいや、と、なりがちで、リハビリする余地がない。かといって、いつか王子様が…という少女漫画的なる気持ちは捨てきれないばかりか、年々うつくしい虚構として屈強に構築され続ける。だから、決してプリンセスになることを諦めたわけではないが、実際はというと現実にする気が全くない。むしろしたくない。毎日をそんな気持ちで過ごすのなんか絶対に疲れる。その重たさが嫌になってしまうのだと思う。恋がドキドキであるならば、わたしはやっぱり恋が嫌いだ。