ぼくは恋愛ができない

恋愛について、好きだったはずの相手に振り向かれると途端に気持ちが冷めてしまう。この心のED患者的なる部類に属する人間がまあまあいることを知ったのは最近のことで、これらの人々の前に立ちはだかるものとして結婚とかいう情にそぐわないシステムがある。患者たちにだってこの社会の仕組みのなかでどうにか生きていくためには"結婚"という選択肢は提示され続けているわけで、たしかに生きてきて人を好きになったことは何度もあるだろうし、付き合ったり、別れたり、恋愛めいたことはしてきているはずだ。そこで(あーあ、向いてないな)と思ってしまった人々は、男女関係が最強みたいな社会のなかで、これからどうするつもりなんだろうといつも考える。

わたしは博愛主義者ではないが、全人類のことを好きだと思える。多分この言葉についての定義や感覚と、わたしのは少しズレていて、みんなにとっての「好き」というのはわたしにとっては大変居心地が悪いもので、これは「こわい」にも似ている。みんなにとっての「嫌い」がわたしの「好き」なのだと考えるし、さらにいえば、わたしの「好き」は「どうでもいい」にも似ている。関係にリスクがない、甘やかされることができる、堕落できる、恋であるということを確信しなくてもいい、そういうのがわたしは好きだ。居心地がいい、心臓が落ち着くことができる、ということ。しかし結婚という契約は男女でしか成立しないばかりか、結婚はたんなるルームシェアではなく、同じ部屋で暮らすその男女は"恋愛"を経て結ばれるらしいし、2人のあいだには好意以上の恋情や、確実な信頼がなくてはいけない。そんな重たくカタい感じの関係、正直、めんどくさい。だから恋愛はもういいや、と、なりがちで、リハビリする余地がない。かといって、いつか王子様が…という少女漫画的なる気持ちは捨てきれないばかりか、年々うつくしい虚構として屈強に構築され続ける。だから、決してプリンセスになることを諦めたわけではないが、実際はというと現実にする気が全くない。むしろしたくない。毎日をそんな気持ちで過ごすのなんか絶対に疲れる。その重たさが嫌になってしまうのだと思う。恋がドキドキであるならば、わたしはやっぱり恋が嫌いだ。